今年の5月に日帰りで浪江町を訪れました。
目的は、今の浪江町をもう一度見たいということと、私の大好きな場所「賀老」へ行きたかったからです。
賀老という地名は、日本全国に他にもあり、浪江町の賀老はあまり有名ではありません。
正式には「賀老橋」という地名になります。
震災の時に散々通った国道114号線で室原の中心街を抜けると、賀老橋に辿り着きます。
岩山から湧き水が請戸川へ流れ、とても美しい自然を見ることができます。

震災で心がささくれ立っていた頃、ここへ来る度に滝水の流れる音に心が落ち着き、癒されたことを思い出します。
人間がどんな失敗をしても、素晴らしい自然はそのまま厳然とそこに存在しているのです。

室原も線量が高かった地域ですから、部分的に「避難指示解除区域」になってはいます。
この辺りはまだ解除されていないのでしょうか?
国道沿いに家がポツポツと建っていたのですが、解体された家、テープで立ち入り禁止になっている家もあり、人気は全くありませんでした。
114号線を工事業者の車が何台もせわしなく通過します。
「当時は、この道路上に猿の親子がウロウロしていたなぁ」と懐かしく思い出しながら、浪江町の中心街に引き返しました。
途中、立ち寄った場所です。
当時のまま残っている建物や朽ち果てた小屋、解体されて更地になっている場所。
どこも懐かしく、悲しく、辛かったことも思い出します。

浪江町の中心街で、海鮮丼?を食べました。美味しかったです。
平日ということもあって、作業着やワイシャツ姿の方達が多く、混雑しているお店でした。
浪江町に関して言えば、浪江を中心とした若者たち達の力で作られていく新しい街の形を目の当たりにしました。
中でも道の駅はとても活気があり、若いスタッフが生き生きと働いていました。
目をキラキラさせた20代ぐらいの男性が座っていて、しばらくするとスタッフと思われる方が現れ、
「ボランティアに来ました!」
と挨拶をした男性を、満面の笑顔で温かく迎えていました。
これから新浪江町として、全く新しい街が出来て行くことに、期待と興奮を感じます。
浪江駅周辺や6号線沿いにも真新しい家や店が出来ているのですが、震災前の建物と震災後の建物が混在していて、その絵面はとてもシュールです。
私が見る限りでは、混在している古い建物は大手企業の会社や店舗が多かったです。
大手なので、敷地面積や建物も大きく、必然的に目立つ位置に建てられています。
震災後、一度も入られたことが無いような建物も見受けられました。
私は、これが浪江町の復興の弊害にならないようにと思います。
若い人達が中心となって再興される浪江町に今後も期待しています。
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