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猫を救うのは誰か

 

先日、「猫を救うのは誰か」太田匡彦著を読んだ。

 

とてもショックな内容だった。

私は1999年に起こった「こげんたちゃん事件」がきっかけで、野良猫に関心を持った。

そして、地域猫という選択肢があることを知り、当時まだ耳ピアスや耳糸の時代にTNRを始めた。

目的は、こげんたちゃんのように外でお腹を空かせた人懐っこい猫が身勝手な人間に殺されることがないよう、もっと広く言えば、保健所へ連れて行かれて殺されることが無いように、「殺処分0」を願いながら活動していた。

雌猫を一頭捕獲して手術できれば、一年間に外で繁殖して殺処分される猫達が減る。何十頭か確実に減る。それが心の支えだった。

そして、私の住む地域では長い時間をかけて、野良猫は減った。地域猫はあちこちに存在するが、殺処分は減ったはずだ。でも、これは私が住む地域だけの話で、日本全国まだまだTNRが行き届いていない地域がたくさんある。各地のボランティアさん達は、毎日毎夜奮闘してTNRを行っている。

いつかは、保健所で殺処分なんて無くなることを願って、純粋な心で、決して楽しくもないTNRをし続けているのだ。

そんな心を打ち砕くような内容だった。

 

どこにショックを受けたかと言えば、年間の殺処分数より、質の悪いブリーダー達によって破棄または殺される犬猫が倍以上いることだ。行政の殺処分より、悪徳ブリーダー達のやっていることに、はらわたが煮えくり返った。そして、絶望した。

 

なんの為、殺処分0を目標に頑張って来たのか?

 

必死に何日も徹夜して、仕事を休んでまでも腹ボテの猫に子供を産ませないように手術した自分はなんだったのか?

 

悪徳ブリーダー達は、いとも簡単に犬猫を殺す。殺しているという自覚がない。だって物だから。命じゃない。

どんな教育受ければ、そういう考え方になるんだよ?と全く理解できない。

 

TNRをしていると、必ず保護しなければならない猫が出てくる。

病気であったり、虐待されていたり、そういう猫達を保護して、やっとの思いで里親を探し、たった一頭かもしれないけれど、命を救う。

そして今、私は年老いて飼い主も亡くなり、後は最期の時を待つような老猫達を一頭一頭大切にお世話している。毎日観察して、向き合って、寄り添って。これからもそうしていくだろう。

 

ふと、命の重さに違いがあり過ぎることを感じてしまう。

これはどうしようもないことなのだろうか?

だったら、バタリーケージなどのアニマルウェルフェアについては?

だったら、人間は?

人だって、癌になっても諦めず抗がん剤を投与して生還し、命の大切さを説く人がいる一方で、発展途上国や戦争などの混乱の中で飢餓と暴力で簡単に亡くなっていく人もいる。

人間だって命の重さに違いがあり過ぎる。

 

じゃあ、自分はどこに向き合えばいい?

 この本を読んだ後、答えが出ないままでいる。

自分は、なんと無知でちっぽけな存在なのか。

今さらながら、それはよくわかったのだ。

 

何か吐き出したくで書いたもので、後日削除予定。